今日は、私なりに感じている、ヨーガと声楽のつながりについて書いてみたいと思います。
インド古典声楽の基礎は、ひとつの音を限りなく真っ直ぐに発声することにあります。それぞれの歌い手の声の高さに合わせた基音となる音「サ」の音、西洋音楽的には「ド」の音に当たりますが、女性の場合は大体A(=ラの音)になり、私も基本的にはAを基音として歌っています。ちなみに、男性は大体D(=レの音)が基音です。
さて、「基音」についてお話していますが、基音は「中心音」という言葉でも表現できます。中心音という言葉の方がしっくり来るような感じもします。というのは、インド音楽は、この「サ」の音がずっと心の中にあるからです。そういった意味で、中心音なのです。そして、意識的にも、この中心音を捉え続けます。でもそれってちょっと窮屈なんじゃないかなぁと私は考えていました。「サ」の世界に閉じ込められているような、「サ」をずっと掴んでいなければいけないような。でも、そんなことはなくて、「サ」を捉えていることで、余計な思考が止まり、あらゆる感性が高まり、ヴォーカル(声)という楽器を操り、表現したい音が出せるようになっていきます。思っていたよりも、サの門の向こうの世界は広く、私にとっては大きな意味がありました。
しかしながら、この中心音を捉えておく、ということには集中力が必要です。何か気がかりなことがあったり、気が散ってしまうようでは、とても一つの音だけに意識を向け続けることは出来ません。そのような落ち着かない心や、あれこれ考えてしまう思考を、精神的にも肉体的にも落ち着かせてくれるのが、ヨーガの技法たちでした。
ヨーガは私が子どもの頃には、奇術のたぐいでした。ヨーガ行者の写真は奇人扱いで、痩せ細った人間の体がおどろくほど柔らかいポーズの写真を初めて見た時、私はなんだか恐かったです。それから少し時代を経て、ヨーガは健康法として一大ブームになりました。高度経済成長のあおりを受けたアメリカで健康の重要性が高まったからです。でも、実はその裏には心の病が潜んでいました。現状を覆す新しいライフスタイルの創造ビジネスとしても人気が出ました。でも、本当は心の問題なのです。今もなお、ヨーガはブームですが、私たちはヨーガの本来の目的を、頭で理解するだけでなく、体で感じ始めています。心と体がつながっていることを、あらゆる変化の中で経験してきたからです。
話を歌に戻しますが、たった一つの音だけに意識を向けておくことは、とても瞑想的です。近頃では瞑想で頭をスッキリさせる方も増えてきていますが、そもそも瞑想は、瞑想をしようという気持ちにならないとやろうと思いませんし、瞑想をする意味が分からないとやりません。現代ではマインドフルネス瞑想が流行っていますが、これは瞑想の最初の段階であり、その目的は思考を止めることです。思考を止めるなんて恐い、マインドコントロールされるんじゃないかしら、そんな思いが過ぎります。マインドコントロールはされたら本当に恐いです。でも、自分で自分のマインドをコントロールすることができたら本当に便利です。瞑想は、誰かにマインドをコントロールされるような自分ではなく、自分で自分をコントロールすることが出来るようになる、それはつまり、自分を客観的に観ることが出来るようになるということです。
その技法を私は歌に活かします。踊りに活かすことも、絵に活かすことも、スポーツや勉強、子育て、介護、仕事、心地よく生きていく何かの役に立ちます。自分が観えるようになっていくからです。自分を上手に扱えるようになるからです。気持ちの問題だけではありません。体も上手に扱えるようになっていきます。きっと「自分で自分をコントロールする」ことに、なんの苦労もなかった方には、私がここに書いたことは至って当たり前のことかもしれません。でも、そんな方はひとりもいらっしゃらないんじゃないかとも思います。大なり小なり、きっと何らかの努力をして、誰かに助けてもらいながら、教えてもらいながら、自分をコントロール出来るようになって、それを自分の分野に活かされているのではないかと思います。
また話を歌に戻しますが、歌をうたっている時は、必ず息を吐いています。私たちの体は、息を吐くと副交感神経を刺激して、筋肉を緩めます。筋肉が緩むと気分的にもリラックスします。そして、たくさん息を吐くと、たくさん吸うことが出来ますので、今度は交感神経が刺激されて、筋肉が適度に緊張して、気分的にはやる気が出ます。なので、歌うと気持ちがいい、というのは理に適っています。さらに、声楽の練習となると、発声するために気を付けなければいけないことがありますから、それらに意識を向けている間は、思考が日常のあれこれから引き離されるので、それに紐づけられた感情が浮上してきません。頭も心もスッキリとするのです。また、うたうための筋肉を使い、内臓のエクササイズにもなります。
また、ヨーガの世界は、肉体づくりだけでなく、人間の構造を学ぶ座学もあります。それらを学ぶうちに、インド声楽の歌詞に表現されるインドの精神性が分かるようになってきました。この分かるというのは、知性と感性を両方使っての、分かる、です。さすが、ヨーガの生まれた国、インドの音楽ですから、自然と智慧が織り込まれています。
私はヨーガの道すがら、自分をコントロールすることが出来るようになってくると、うたうことにも大きな変化があって、とても面白いと思いました。けれど、これは私の中での変化で、どのような変化であるかは実際には私にしか分からないことで、周りの誰にも分からないことなので、こうして少しだけ書いてみました。まだまだ学びの途中で、のびしろの多い私ですから、これからも気付くことがたくさんあるはずです。これは冒険で、宝さがしです。また、旅日記を書いてみたいと思います。